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<ruby>松尾寛三<rt>まつおかんざぶ</rt></ruby>

西松浦郡最初の国会議員。

松尾寛三まつおかんざぶ

明治26(1893)年、西松浦郡初の代議士となる。明治27(1894)年の佐賀県五二会創立にも関わった。財政界でも多くの会社の創立に関わり、明治41(1908)年には東京小石川に丘隅舎という西松浦郡出身者の学生寮開設にも尽力した。


安政6(1859)年〜大正11(1922)年 64歳

松尾寛三の生涯

松尾寛三(以下、寛三と略)は、有田町大木宿の出身です。14歳のころに学問を志した寛三は、白川の江越礼太の塾に住み込み、学問を修めました。
明治14(1881)年、22歳のころ伊万里銀行創立と同時に手代として採用されました。それから2年後、若干24歳で佐賀県議会議員に当選し、30歳のときに伊万里運輸会社の社長に就任しています。
明治26(1893)年のアメリカ・シカゴ万国博覧会に深川忠次らとともに渡航しました。
帰国後の翌明治27(1894)年に行われた第4回衆議院議員選挙に立憲革新党から立候補し当選、寛三は西松浦郡初の衆議院議員となりました。
また、同年に佐賀県五二会が発足、寛三は監査に、香蘭社社長の九代深川栄左衛門は本部評議員に就任しました。これが明治29(1896)年に開催された第1回有田五二会陶磁器品評会へと発展し、今日まで続いています(現在の有田国際陶磁展)。
ちなみに「五二会」とは、元商務省次官であった前田正名が織物・陶磁器・金属・製紙・雑貨類の五品の製造・販売を奨励するために計画した品評会のことで、後に敷物類と彫刻の二品が加わり、「五二会」となりました。
その後寛三は、多くの会社の創立に関わり、社長を務めています。
明治41(1908)年に、西松浦郡出身の東京遊学者のため同郷の森永太一郎や藤山雷太らとともに、東京小石川に丘隈舎という学生寮の開設に尽力しました。
大正11(1922)年に64年の生涯を閉じました。